コロナウイルスとジャック・アタリ

 昨日(2020/05/25)「緊急事態宣言の全国解除」が発表になった。本当に大丈夫ですかねと思いつつ、安倍首相から「日本モデルの力を示した」を聞いてぎょっとした。「日本モデルの力」を誇る前に、総括を先にしないと第二次、第三次の波に対応できないのではないかと不安になった。

 先日、GUTPのワーキングショップでフランスの知性と言われているジャック・アタリの本を推薦した。

 その1冊の『2030年ジャック・アタリの未来予測 (Vivement après-demain (2016)』に今回のパンデミックを予告する箇所を見つけた。その本の中には、準備がまったくされない中、これまでにないタイプのインフルエンザそれもスペイン風邪と同等の猛威がくる恐れがあるとあった。

 『2030年ジャック・アタリの未来予測 (Vivement après-demain (2016))』は3つの大きな章から出来ている。
1.現状の世界分析
2.2つの予想図
3.対処すべきガイドライン

 3の対処すべきガイドラインは3つのテーマで書かれている。
1.個人としてどうすべきか
2.社会としてどうすべきか
3.フランスとしてどうすべきか
 いずれも説得力のある内容となっている。お時間があれば是非読んでもらいたい。

中島 高英

コロナウイルスと蜘蛛の糸

 コロナウイルス感染予防対策を生真面目に守りながら在宅ワークを続けている。先日、こんなことがあった。自宅のマンションで後からくる人の気配に気づきつつもエレベーターの扉の閉まるボタンを押しドアを閉めてしまった。エレベーターの行き先階を示す表示板を見ながら、50年前中学生だった頃に読んだ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が急に思い出された。

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 地獄に落ちた主人公カンダタ(かん陀多)は、お釈迦様が垂らしてくださった蜘蛛の糸につかまり、登っていった。途中ぶら下がりつつ、下を見たときに数限りない、蟻の行列のような人たちに向かい、「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「下りろ。下りろ。」と叫んだ途端に蜘蛛の糸がぷっつり切れ自分も奈落の底に落ちていく。
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 そんな話だった。中学生だった当時の感想文に自分がもし主人公カンダタの立場だったら同じように叫ぶであろうと書いた記憶がよみがえった。

 今、自分がした、エレベーターのボタンを後から人が来ることを知りながら閉めたことは、コロナウイルス禍上の3密を避けるエチケットだったのか、それとも主人公カンダタ(かん陀多)と同じ気持ちからだったのだろうかと考えこんでしまった。どうでも小さなことがらにこだわりはじめると止まらないのが私の悪い癖だ。

 学校が休校になる前には、医療関係者の子供は登校するなという声があったという。自分が校長や園長ならばどう処理しただろうか。差別なのか区別なのか同じ行為でも大きく意味が違ってくることが多々起きてくる。大事なことは、その時の自分はどう考えて意思決定をしたのか立ち止まって考えることかと思う。見直す余裕があるのも在宅ワークの成せる技である。

 コロナウイルス禍のステイホームは、人生を哲学する時間をもたらしてくれている。哲学する行為は、アフターコロナ後の人生に大いに役立つものになるだろう。

中島 高英

データの見える化で健康改善

 工場の改善にはひとつのテーゼがある。「計れないものは改善できない」というテーゼである。だからそれを「見える化」することで工場改善のゴールにたどり着ける。
 改善は対象とする「ものごと」を数値というデータにして「見える化する」というシンプルな方法である。心得として5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)がある。データのデジタル化と心得というアナログが交じり合っている日本のものづくりのよさがある。

 私事ではあるが、このデータの見える化を使って自分の健康を取り戻した話を紹介しよう。昨年2019年8月の健康診断の血液検査で成人病に引っかかってしまった。血糖値、コレストロール、中性脂肪と3つすべてアウトの判定を受けた。
 これはヤバいと思い、体質改善に挑んだ。まずは数値を知る必要があるが、病院の血液検査は手間がかかる上に数日後に結果がわかる仕組みである。そこで腕に装置をつけてリアルタイムで血糖値がわかるものをAmazonで買い求め、計測することにした。


 昨年の9月からその数値を目安に炭水化物カットを中心とした食事制限と軽い運動の散歩をするようにした。すると、体重が1週間に1kgずつ減って血糖値も正常範囲内に落ちくようになった。3か月後病院で再検査を受けたところ、血糖値、コレストロール、中性脂肪ともに正常範囲内におさまっていた。医師から薬を使わずにここまで改善した人はなかなかいないと褒められた。体重の8kg減は少々やり過ぎと注意を受けたものの非常に気分がよかった。その後、年末年始のお酒月間も無事に乗り越えられた。
 3月から新型コロナウイルス感染症というパンデミックが起きている。タッチの差で健康を取り戻せて日々慎重に過ごしている。

あるべき姿をただやるだけ
 私が生活習慣病から脱出できたのには特別な秘訣は何もない。単純にヤバいと思い決断して実行に移しただけである。それまではやろうとしても自分にいろいろな言い訳をしていた。最悪の未来予想図を描いて「ヤバい」と気づいたからだ。そして実行はただ自分の意思や立場、思惑を捨て「やるべきこと」をやったに過ぎない。勿論実行は苦しいが、目に見える結果が出てくれば喜びに変わる。自分で決めて自分から進んでやって、その中に小さな喜びがあったからこそ持続も出来ている。
 コロナウイルス感染防止のための行動抑制も自分から進んでやることが大事であると思う。

中島 高英

コロナウイルスと8割の行動抑制

 いよいよ緊急事態宣言が全国を対象とすることになった。期間は4月17日から5月6日。ゴールデンウイークの移動を止め、行動抑制7割、出来れば8割の目標値が示された。
 20日間、7割、8割という数値の根拠がよく分からないものの行動抑制、接触度数の極小化は世界中でやっている唯一の方法である。
 私が一番わからないのは8割の行動抑制の元の数値、計算式でいえば分母である。何の数値をもって計るのか。人と会った回数、人数、時間、どこの数値なのかわからない。わからないからやらないという訳にもいかず自分なりに考えてみた。

割合を見るには基準値が大事
 まずは基準データをどこに置くか考えた。人数は難しいので一日の内で外出している時間を基準にすることにした。それからベースとなる基準値を1-3月の週に分けて、その中で外出時間の一番多い時間数を日に割り直して分母を決めてみた。
 分母は9時に家を出て会社に行き、夜飲んで12時に帰るという行動パターンで15時間になった。

数値の見える化が行動を抑制する
 まずは直観で何%か書き出し、その後、手控え帳から詳細に行動した時間を拾い出した。それがこのグラフである。東京に緊急事態宣言が出されてから手控え帳には誰と、どこで、何時から何時まで会ったか細かく書き残すようにしていたので簡単に拾い出せた。
接触度比率グラフ
 結果は週平均で19%、8割の行動抑制に成功した。
 何故、直観と記録と比較したかというと、どこまで思い込みがあるか知りたかったからである。前半はそれまでの約束があってどうしても出ざるをえない仕事があった。後半からはアポの依頼があっても「不要、不急」を必ず尋ねて「不急ですね」と相手から言ってもらい接触機会を減らす努力をした。それでもゼロにならなかったのは生活ための買い出しで外出したためである。0%の日は一歩も外に出なかった日である。

行動抑制の具体的な目安
 わずかな経験の範囲であるが、ここから見えてきた行動抑制の具体的な目安は次のようになる。
 1.抑制率10割 外出禁止。
 2.抑制率 9割  1日50分以内の外出(徒歩、自家用車)近所での買い物
 3.抑制率 8割  1日100分以内の外出(徒歩、自家用車)
          近所での買い物とプラスアルファ(短時間のお仕事)
 仕事については、通勤時間と方法も含めて計算する必要がある。毎朝300万の人が東京に向かって満員電車に乗って会社に集まる今の仕組みでは、8割削減の実現は不可能である。それ故に在宅ワークが求められている

総体として行動抑制
 我が社だけではないが在宅では仕事が物理的、経済的、社会的に出来ない人もいることを前提にして、日本社会全体として8割削減するにはどう解決したらよいかが課題となる。
 8割という数字を「個人の目標値」でなく「総体の平均値」と再定義する。具体的には、それぞれの会社で出勤せざるを得ない場合は最小時間を目指し40%目標とする。在宅ワーク可能な人の目標値を0%すると平均で20%となる。

「行動抑制」が社会連帯としての「行動の証」
 行動抑制をして人と会えないと孤独になり自分が無価値だと感ずるよう人は、自宅に籠り外出しないことが外出せざるを得ない人へのギフトになるとして考える。行動抑制こそがコロナウイルスの感染防止に役立つ積極的な「行動の証」であり、新しい「社会連帯」の方法である。そこには価値がある。ちょっとした発想の転換で気分が楽になる。

中島 高英

コロナウイルスとロックダウン

 非常事態宣言後、迷走していた休業要請の業種も平時の政治力学の結果発表となり、ストレス満載の週末を自宅でじっと過ごしている。
 最初は違和感があったが、聞きなれない「ロックダウン」という言葉も1月半以上聞かされていると人は慣れてくるものである。そういえば社会党の福島みずき党首が「ロックダウンは監獄で使う言葉だ」など言っていたのが気になり調べてみた。

 ロックダウンは封鎖。ロックアウトは閉め出し。シャットダウンは機能停止。とあった。今回のロックダウンは「都市を封鎖する」という意味で、外から入るのも中から出るのも禁止すること。歴史によると遠い昔、欧米も中国、アラブも世界の都市は城塞都市であった。城塞都市は日本の城下町とは違う。ギリシャ時代のトロイも城塞都市でありその門を開けさせるために木馬を贈る話が有名な「トロイの木馬」である。
 最近BBCのテレビドラマで「レ・ミゼラブル」を見た。主人公ジャン・バルジャンはトゥーロン刑務所から出て放浪し、ディーニュの町の門がありそこで身分証明書を見せて入るシーンを思い出した。城塞都市は門ひとつを閉めるだけでロックダウンできた。ディーニュの町で教会から銀の皿を盗み神父様に許されるところから彼の心が変わり物語が始まる。城塞都市といえば、東京上野の近代美術館の庭にあるロダンの彫刻「カレーの市民」を思い出す。一年以上戦ったのち負けて門のカギを渡す6人の市民の苦悩した表情はさすがロダンである。

 今日はレミゼやロダンの話ではない。城塞都市はロックダウン後も1年以上も籠城できるだけの町の機能を有していた。今回の敵は軍隊でなくウィルスだから都市機能もほとんど停止しなければならない。言うなれば「ロックダウン+シャットダウン」である。城塞都市には備えがあったが現代の都市にはその備えも心構えもどちらもない点が困難さと混乱さを招いている。さらに、都市の内側にいる個人宅単位でのロックダウンとなっている点が問題を大きくしている。
 カミュの「ペスト」では9か月ロックダウンが続いた。新型コロナウイルスも同じくらいに考えておいたほうがいいかもしれない。インターネットであふれる情報過多の時代には真の教養こそが正しい判断を下す拠り所になるであろう。

中島 高英

コロナウイルスと方丈記

 世界中を巻き込んだコロナウイルス感染劇は映画が現実になったようだ。政府はその現実を受け入られずに「緊急事態宣言」後も具体的な施策を出せず、「調整中」を続けている。
 非常事への対応は平時のシミュレーションと心掛けにある。どちらにしても対応の遅れがはっきりしている以上、我々は長期戦の備えをしていくしかいない。弊社も在宅ワークに切り替え、私も自宅に閉じこもっている。

 自室で何気なく手に取って読んだのが鴨長明の「方丈記」である。12世紀の京都の様子の描写の凄さに驚いた。そこは美しい京都でなく生き地獄のような風景であった。その地獄は5つの災厄が書かれていた。
 ・大火
 ・竜巻
 ・飢餓
 ・地震
 ・遷都

 自然災害、火事、飢餓の4つは理解できるが5番目の遷都には思わず笑いが込み上げた。この遷都とはわずか半年で崩れた平清盛の福原遷都を指している。いつの時代も悪政は庶民に「地獄」をもたらすものである。これから数か月後の日本がそうならないことを祈るばかりである。

 もうひとつ気づいたことがある。「疫病」が入っていなかったことだ。12世紀の日本ではまだ「疫病」はそんな大ごとではなかったということか。国際的な人の往来がなく、近代科学が生んだ新しいウイルスも存在していない時代もあったということだ。
 なるほど、科学だ、AIだ、グローバル化だ、などという言葉と会社の価値は時価総額だ、人の価値は収入の大きさだ、などというマネー至上主義の現代社会のほうがずっと野蛮な時代に入り込んでいて、そんな現実にも気がつかずに生かされている人間たちにコロナウイルスは猛省を促してくれているのかもしれない。

 かく言う私も、人の命の大切さと人生のはかなさが染み入る年になった今だからこそ言えることである。4月8日はお釈迦様の生まれた日である。去年、墓じまいをしてから毎朝、仏壇と共同墓地の方向に向かって「南無阿弥陀仏」を10回ずつ、手を合わせて唱えている。心はいつか遠くない時期にあの世にいける時を待っているのかもしれない。
 のんびり読書をしている場合ではない。自分が死んでも会社が継続していくように考えなくてはならない。お客様や社員に迷惑をかけられない。出来る限りの準備をしなくてはいけないと思う今日この頃である。

中島 高英

新会社のスタートにあたり

半年ぶりのコラムである。実に久しぶりである。
 この半年間さぼっていた言い訳から始めよう。怠けていたというよりも自分自身と格闘していたというのが真の姿だ。
 シェイクスピアではないが「to be or not to be」、人生において進むべきか退くべきか。進むとしてもどう進むべきか。模索のなか、猛烈な量の場と人に会い確かめ準備をしていた。それがやっと公言できるレベルにまで体内のパワーが充満し準備が整った。

 結論は自分で持っていた3つ会社を合併してひとつにし、基盤をしっかりさせることである。私にもしもの事があってもお客様に迷惑をかけないような会社すること。そして「後顧の憂い」を断ち、さらに高く、広く飛び立ち自分にしかできないことをしてみたいと思ったからである。

 では自分にしかできないこととは何か? 「That is the question」
IoTの社会実装を通じてデジタルトランスフォーメーション時代に日本が生き残る道に貢献していきたい。その中で自分にしかできないことを― 私は金型屋二代目として生まれ育ち、東京大学と12年に及ぶインターネットの開発研究をしながら、余暇は自分の感性を磨くために芸術や芸能に親しんできた。これらのものを混ぜこぜにしてできた自分自身をどう生かしていくかである。

STEAM教育と人生100年
 いみじくも、21世紀に求められる人材は、STEAM「科学(Science)」「テクノロジー(Technology)」「エンジニアリング(Engineering)」「芸術(Art)」「数学(Mathematics)」の素養を身につけている人だそうだ。この5つならばもの心がついて50年間かけてやってきたテーマそのものであり、たっぷりと自分の中にたまっているものだ。自分で作った格言がある。
知能は学ぶもの
知性は鍛えるもの
感性は磨くもの

 これをたっぷり経験してきた強みが自分にあることに気づかされた。
 併せて、世の中では人生100年と言われるようになった。定年が60才から65才に延び、さらにもっともっと現役でいろということらしい。ならば自分ももうひと働きするかという気になるというものだ。

人生60歳まではリハーサル
 という言葉に出会い勇気をもらった。
 デジタルトランスフォーメーション時代はいいことだが、その渦中にいながら思うことはデジタル化により効率や生産性が上がるだけでは世の中つまらないということだ。人生楽しく、「粋」に生きていきたいと思う。教育者になる気はさらさらないが、新時代のモデルケースとして自分がモルモットになることはできる。もし成功すればお手本になる。
 お仕事の話は野暮なので今回しないが、いろいろな構想を持っている。
 ぜひ皆様のご支持とご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

中島高英

IoTを工場にどう活用するか

 多くの会社や人々がIoTを工場にどう活用するかについて悪戦苦闘している。私もその一人である。どうして工場へのIoT活用が大きな流れにならないのだろうか。
 昨年のJIMTOF(工作機械見本市)では“つながる工場”ということでFANUCやEdgecross、その他出展している機械と通信しているデモがたくさん出展されていた。最新の機械にはMT ConnectやOPC UAなどの欧米の通信規格機能を搭載してきている。
 現場が期待するIoTからは離れているように思えるのは私だけであろうか。私が知る限りの現場の声として、IoTに期待している課題は次の3つである。1.機械の稼動中に切子が出ている時間とそうでない時間を知りたい。
 生産管理側としては、機械の稼動時間がほしい。稼動時間はイコール資源(リソース)の占有時間である。適切に設備機械の割り付けをして工場全体のスケジュールを管理していくために必要な情報である。
 現場の担当者側からすると、さらに細かく実際に切子を出している時間、即ち加工時間そのものを知りたい。現場としては、与えられた機械設備を24時間という制約の中でもっと有効に使いたいと考えているからである。
 残念ながらパトランプの信号ではそれが分からない。パトランプの信号はNCから出力される制御中の合図電灯であり、機械の稼動時間としては有効であっても加工そのものの時間ではない。こんな簡単な信号ですら取れずに現場の声に応えられていない。

2.機械の非稼動中に人が機械に段取りしている時間だけを知りたい。
 これは相当やっかいな問題である。何故ならば機械からどれだけデータを集めても出てこないからである。今どう解決しているかと言うと、作業者に日報に書いてもらうか作業開始終了のボタンを設置して、作業者にボタンを押してもらっている。この入力された時間がラフであることは周知の事実である。作業者は加工に専念してもらい、IoTを使って作業者の手を煩わせずに段取り時間が取れるとありがたいと現場では思っている。

3. ものを探す時間を減らしたい。
 現場が言う「もの」とは①ワーク(材料)、②工具、③治具、④金型、⑤製品を指す。それぞれの現場や担当者によって探すものに違いがあるものの、この探す時間が結構な手間になっている。
 工作機械を使って加工している現場では工具や治具は担当者任せになっているケースが多い。対策と言えば5Sで整理整頓と張り紙をして注意を喚起する程度である。探すためにどれだけ時間がかかっているかは誰も知らない。データも残されていない。測れないものは改善できないというテーゼからすると、今のままではいつまでたっても改善できないだろう。しかし、今のIoT技術をもってすれば、ものを探す時間を短縮することは解決可能であろう。結論とすれば、難しいAIやIoTでなく現場ですぐに役立つものこそが求められている。次回はこの3つの課題に取り組んだ事例をご紹介しよう。

中島高英

スマートファクトリーで驚異的な生産性UPを叩き出す

IoTって難しい?
 講演していて感じることは「IoT」を伝える難しさである。技術テクノロジーよりもIoTによって起きてくる新しい世界の姿はさらに伝えるのが難しい。そこで今回は誤解を恐れずに出来るだけ噛み砕いてみた。IoTはどこからきたの?
 IoTはスマホの普及から始まった。Appleが12年前(2007年)にiPhoneを発売したのがスタートで瞬く間に世界中に普及した。新しい機種が次々と発表されどんどん切り替わってきた。その裏ではセンサーデバイスが劇的に安くなり、通信ネットワークインフラが世界中に張り巡らされた。この2つがIoT時代の幕開けを後押しし、誰でもお手軽にビジネスに使えるようにもなった。IoTでどこへ行くの?
 スマホの発想とインフラ、センサーデバイスの低価格化はクルマの自動運転に飛び火していこうとしている。それがMaaS(Mobility as a Service)である。この世界が出来てくるとさらにビル管理や工場の世界にも入ってくるであろう。企業としては普及してからでは遅いので今のうち準備しておきましょうということである。

主役はクルマの自動運転
 2019年3月29日の日経新聞の記事によると
「トヨタとソフトバンクの共同出資会社モネ・テクノロジーズは28日、次世代の移動サービスを開発するためのコンソーシアムを立ち上げたと発表した。国内約90社が手を組み、新しい移動サービスを提供するMaaS(マース)の開発に乗り出す。」とあった。
 いよいよ日本もこの世界に真剣に挑戦していこうとする気概を感じる。こうなるとスマホ以上の波及効果が期待できる。自動運転のクルマに搭載されるカメラやセンサー等のハード価格はもちろんのことAIを含めたソフトウェアの価格も下がるであろうと期待している。クルマの自動運転化によるメリット
 国土交通省の資料によると、クルマの自動運転化には6つの大きな効果(メリット)があると示されている。下図参照。

出典 オートパイロットシステムに関する検討会

仮説を立てる 工場に置き換える
 この図を見ながら工場だったらどうなるか仮説を作ってみた。ピッタリ当てはまるではないか。ちょっとした発見をした気分になった。

仮説を実証する
 この仮説を実証するにはどうしたらいいか。なんてことはない私自身ですでに経験したことではないかとまたまた驚いた。私自身かつて金型メーカーの二代目社長として、工場のIT化により会社を再建した経験がある。その時のIT化の効果は次の図の通りである。

更に効果を数字に直したのが下記の図である。

疑われた数値 経常利益率24%
 講演で、さる金型メーカーの社長から「経常利益率24%とは信じられない。ありえない数値だ。」という鋭い質問を受けた。「私も信じられない、Ohアンビリーバブルだったんです。」と答えた。経常利益率をKPIにしてなかったため、後で分かったことだったからである。そこで心配になって翌日過去の決算書を見直してみた。本当に経常利益率24%であってほっとした。
 ついでに何期分か並べて調べてみた。5%→9%、10%、12%と続き24%となっていた。通常金型製作は手間がかかる為、受注がたくさんあってもすぐには売上には繋がらず、工場内には仕掛品のワークが所狭しとあふれてしまう。
 KPIをリードタイム1/2にしたことが功を奏したといえる。それまでの改善で、単純にモノがスムーズに流れる体制ができていたのがミソである。その結果が経常利益率24%という数字を叩きだした過ぎない。Oh!アンビリーバブル!!こそがスマートファクトリー
 考えもしてこなかったコトが起きるからこそ面白い。私は会社の生き残りを賭けて一心不乱で頑張っただけ。ここまで成功するとは思ってもいなかった。ただ固定概念を捨て素直にモノを見て挑戦してきたことだけが取り柄である。その経験智・知が世の中のためになるならばどんどん智・知であるノウハウ、メソッドを伝えていきたいと考えている。

中島高英