コロナウイルスと蜘蛛の糸

 コロナウイルス感染予防対策を生真面目に守りながら在宅ワークを続けている。先日、こんなことがあった。自宅のマンションで後からくる人の気配に気づきつつもエレベーターの扉の閉まるボタンを押しドアを閉めてしまった。エレベーターの行き先階を示す表示板を見ながら、50年前中学生だった頃に読んだ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が急に思い出された。

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 地獄に落ちた主人公カンダタ(かん陀多)は、お釈迦様が垂らしてくださった蜘蛛の糸につかまり、登っていった。途中ぶら下がりつつ、下を見たときに数限りない、蟻の行列のような人たちに向かい、「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「下りろ。下りろ。」と叫んだ途端に蜘蛛の糸がぷっつり切れ自分も奈落の底に落ちていく。
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 そんな話だった。中学生だった当時の感想文に自分がもし主人公カンダタの立場だったら同じように叫ぶであろうと書いた記憶がよみがえった。

 今、自分がした、エレベーターのボタンを後から人が来ることを知りながら閉めたことは、コロナウイルス禍上の3密を避けるエチケットだったのか、それとも主人公カンダタ(かん陀多)と同じ気持ちからだったのだろうかと考えこんでしまった。どうでも小さなことがらにこだわりはじめると止まらないのが私の悪い癖だ。

 学校が休校になる前には、医療関係者の子供は登校するなという声があったという。自分が校長や園長ならばどう処理しただろうか。差別なのか区別なのか同じ行為でも大きく意味が違ってくることが多々起きてくる。大事なことは、その時の自分はどう考えて意思決定をしたのか立ち止まって考えることかと思う。見直す余裕があるのも在宅ワークの成せる技である。

 コロナウイルス禍のステイホームは、人生を哲学する時間をもたらしてくれている。哲学する行為は、アフターコロナ後の人生に大いに役立つものになるだろう。

中島 高英

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