コロナウィルスと自粛生活から生まれた新しい出会い2(日建設計/山口様)

Zoom ネットミーティング
 コロナウィルス禍で活躍し普及したものはZoomやSkype、Teamsといったネットミーティングのサービスであろう。私も3月からはこれらのいずれかを毎日使用している。これに慣れると電話で話をするより良いことが分かる。どこにいてもよいはもちろんのことどんな格好でもよくいつもズボンは短パン姿のままである。

日建設計 山口義雄さん
 株式会社日建設計の山口義雄さんとは東京大学グリーンICTプロジェクト(GUTP)のスマートシティWGの7月8日Zoomミーティングで出会った。この時は「ポストコロナ社会についての提言書」のためのブレーンストーミングであった。名刺交換もなく空気を読む必要のないZoomならではの世界で忌憚のない意見交換をしたことがきっかけである。
 山口義雄さんは技術士として都市設計を主にやってこられた方だ。
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京大デザインイノベーション・コンソーシアムHPより
(同デザインイノベーション拠点フェロー 2016.9~2018.3)
http://designinnovation.jp/program/fellowship/fellows.html#yamaguchi

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東京と兵庫の距離を越えて
 山口さんと私とはもっとも遠い世界である都市設計と町工場主の世界を生きてきた。表面的にはどこを探しても接点もなく接線も引けない間柄である。
 しかし、Zoomミーティングの数分間の会話の時にお互い何かを感じるものが残った。従来の慣習ならば一杯飲みにいきそこで盛り上がって関係が始まるのだが、自粛生活中でもあり、兵庫と東京ということもありメールとZoom、Teamsを使ったやり取りを週一回くらいした。

思いは人をつなげる
 会社や肩書からでは分らない内面的な心情や思いということがネットミーティングでは鮮明に見えてくるものだ。二人の共通した思いとは「これからの社会は欲望の資本主義に翻弄されることがない個人が大事」という点であった。それを社会環境デザインという形で表現するかスマートファクトリーという形にするかの違いがあるだけだ。議論するつもりが同意し頷くことが多くこれでは議論にならないねと二人で大笑いした。

思いから共同作業へ
 従来の飲み屋会合と違いネットミーティングは文字や図にして相手に伝えるという行為が入る。これがいいのだ!表現しようとすると自分の頭の中のもやっとした部分が鮮明になりその上デジタルで残るところが素晴らしい。そこで二人で協働して「ポストコロナ社会についての提言書」を作ろうということになった。

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山口さんからの一言(メッセージ)
 中島さまとは、GUTPのスマートシティ検討WGでご縁を頂き、その後何度かオンラインミーティングをさせて頂いています。お互いまだよく知らないことの方が多いと思います。
 分野は異なりますが、コロナ禍をきっかけに社会の大きな流れに身を任せていたら、偶然出会い、偶然思いが重なって・・・。
不思議なご縁に感謝しながら、より愉しみ学ばせて頂きたいと思っております。新たな学びは、新たな自分に生まれ変わることらしいです!まだ見ぬ自分ってどんなのでしょうね? この先も引き続き、よろしくお願いいたします。
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中島 高英

コロナウィルスと自粛生活から生まれた新しい出会い1(Exploratory/西田様)

AI(機械学習)のお勉強
 コロナウィルスも夏には終息すると思いきや7月から逆に拡大を続けている。その為今年の夏はオリンピックを見ながらビールを飲む計画は流れ、自粛生活も延長することになった。子ども時代に戻り夏休みの課題を決めて勉強することにした。
 課題はAI(機械学習)とその基礎にある統計解析の学び直しにした。ただ一人で参考書を読んでも難しくなかなか前に進まない。そういえば子ども時代は夏期講習なるものに行ったことを思い出し、オンラインのAI(機械学習)講習を受けることにした。

Exploratory 西田勘一郎さん
 Exploratory はシリコンバレーのベンチャー企業で元オラクルの西田勘一郎さんが立ち上げた会社である。

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Exploratory CEO西田さん略歴
Exploratoryサイト(https://exploratory.io/training-jp)より許可を得て掲載

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Exploratory ブートキャンプに参加
 今回はデータサイエンス・ブートキャンプに参加することにした。データサイエンス・ブートキャンプとは、西田さんがやっているデータサイエンスの集中実践講座である。
 7月28、29、30日の3日間、ZOOMよる集中特訓を受けた。人生でこんなに集中して勉強したことがないくらい私には厳しかったがおかげさまでAI(機械学習)のさわりを実感できた。

Exploratory データサイエンス・ブートキャンプ(https://exploratory.io/training-jp )

Exploratory ブートキャンプ修了書
 ブートキャンプ終了後、西田さんからメールで修了書が送られてきた。その中にZOOMでお話しませんかとあり、早々にZOOMでお互いに自己紹介をした。

データサイエンス・ブートキャンプ 修了証

出会いから共鳴、共感へ
 西田さんのデータサイエンスについての熱い思いと私のこの30年間の現場で取り組んできたデータに基づく改善ついての考えがスパークし共鳴しあった。実際に会ったこともなく物理的にも海の向こう側のシリコンバレーと東京と遠く離れているにも関わらず、同じ思いを持つ同士があっという間に共感でつながった。超気分のよい時間であった。

共感からコラボレーションへ
 共鳴→共感とくれば次はコラボレーションというアクションのフェーズになる。この間のスピード感はシリコンバレーのベンチャーらしさ満載だ。私も日本の中では相当スピード感を持っていると自負していたがその比ではない。

データサイエンスの民主化
 二人で決めたことは「データサイエンスの民主化」を普及させていくために協力しあう事である。彼はAIをクラウドの技術から私は現場で使えるAIから、シリコンバレーと日本の町工場とがクロスする日に向けて早々に活動を始めることになった。

中島 高英

コロナウィルスと自粛生活 半年間暮らして

 日本では2月末からコロナウィルス禍がはじまり早いもので自粛生活も半年目になった。自分の中でも初期の3か月間と後の3か月間では大きいな違いが出てきている。

ニューノーマル
 新常態と言われる在宅ワークが続き、夜の外出もなくなり多くの時間を独りで過ごす時間を楽しんでいる。これもなかなかいいものだとストレスなく受け入れている自分の柔軟さに驚きを覚えている。そこでそのコツとよかった話をいくつか披露していこうと思う。

戻れないという覚悟
 コツは覚悟を決めることだ。覚悟と言ってもそう大袈裟なものではない。もう今までの生活には戻れない。戻れない以上、新常態とやらに自分から飛び込んでいくと決め、自然体で流れを受け入れることだ。与えられた自由な時間を使って“考える”ことだ。思考は人間だけに与えられた特権なのだから。この特権を縦横無尽に使うこと。

情報との距離をおく
 思考の世界を歩きまわることは楽しい。間違ってもネットやマスコミの情報に踊らされて「先行きの不透明さや不安感」の世界に行かないことが大事だ。情報汚染から身を守るには情報を遮断することだ。情報化社会においては無意識下にある種の洗脳が行われてしまう危険性がある。不安を煽ったり、限りない欲望を駆り立てるのは彼らの常とう手段だから。
 コロナウィルス禍でマスクをし、ソーシャルデスタンスで他者との距離を保つ物理的な行動と同じことを自分の脳みそに課せばいい。これが2つめのコツである。

情報に対する感性を持つ
 とはいえ情報を100%完璧遮断することは不可能である。知らず知らずのうちに入り込んでくる。この対策も手洗いとうがいをすることと同じである。
 脳ミソの手洗いの方法は、会社人を忘れて生活者の視座で情報を感じることである。人は食う、寝る、排せつの3つの基本動作を繰り返すことで生命を維持している。生命体として自分自身を感じて、その感性から余計な情報を吐き出し捨てることだ。情報に対する感性が心のうがい薬になる。これが3つめのコツである。

思考の自由から新たな出会い
 この3つのコツを使って、自分自身の思考のスペースが出来るとストレス・レスの自粛生活を始められる。思考の自由空間を使っていろいろな世界を飛び回る。すると知らず知らずのうちに自分の考えが形成されてくる。形成されてきたら発信してみる。発信するとどこからか今まで会ったことのない人も含めて返答がくる。そして出会いがはじまる。
 次回はその事例をご紹介しよう。

中島 高英

コロナウイルスと3か月間暮らして

 人生において、この3月、4月、5月の間はこんなに真面目かつ真剣に生きたことはなかった。まるで10年間分を3か月間で経験した気分である。そこで考えたことや行動を振り返ってみた。
 自分の中ではまあ仕方ないかというレベルの受け身の気持ちであったものの、世の中の動向に合わせて3月1日から在宅ワーク勤務体制を実施した。
 日を追ってコロナウイルスの実態が分かるにつれて「結構、ヤバい事」が起きていることに気が付いていった。

自分の身が危ない
 3月初めの東京は北海道や大阪に比べてのんびりとしていた。その中で一番言われていたのがコロナウイルスは老人、それも疾病を持つ老人が罹ると生命に危険があるということだった。一番危ないのが自分ではないかと気が付いた。人間ってどんな時も自分の問題にならないと真剣に考えないものだ。ここは素直に従い、夜の外出も止め、手洗いとうがいをすることにした。

死と向き合う
 楽天的な私が今回だけは「自分だけは大丈夫」とは考えなかった。自分が感染したら皆さんにお別れも言えずに死んでしまうと思った。現在もそう思っている。何しろ、高齢、病気持ち、喫煙者の3拍子持っている身であるから。
 What ifもし死が今月やってくるとしたら、どうしたらよいのか深刻かつ真剣に考え抜いた。

終活をはじめる
 身内の人間を送ってきた経験から残され者の大変さを知っている。そこで家の片づけをはじめた。ひとつひとつ思い出がいっぱいあったが何と段ボール10箱分を処理した。この作業に一番時間がかかったが同時に考える時間をもたらしてくれた。

遺書を書きはじめる
 片付け整理をしていると身の回りの人や社会への感謝の気持ちが自然と湧き上がってきた。まるで山の泉のように絶えることなく湧いてきた。遺書を書きはじめた。なかなか難しい。心を文章に表現するということは。いまだ未完成で白い便箋のままである。

やり残したものは何か
 やり残したものは何かと自分に問えば、あれもこもすべて中途半端に食い散らかした状態であることに気づいた。どれもこれも残された時間では達成するのは難しい。次の者たちに託すか捨て去るしかない。次の者たちが拾うか捨てるかはその方々の判断にゆだねるにしても、出来るだけ負担がない形で残したとは思っている。

会社をどうするか
 今年の1月1日に、自分が持っていた会社を合併して新会社として発足した矢先であった。計画通りにはいかないものだ。誰も経験のしたことのないこの事態に、株式を100%持つオーナーとして、代表取締役CEOとしてどう立ち回るか一人で考え決断していかねばならない。と今までの私なら孤独にそうしただろう。
 しかし、今回は、人間として「死」を覚悟しての日常生活であったからこそ、次の世代の取締役3名と一緒に4人で逐次相談して施策を決めていった。結果、経営チームが形成され30年間のワンマン経営がわずか3か月間でチーム経営に変貌できた。

在宅ワークが知的生産性をあげる
 在宅ワークとZOOMのネット会議の成果は、知的生産性が3倍以上に上がることに気づいたことである。通勤と職場からの拘束がなく、一日中自由に時間が使えることによりマイペースで思考に集中できたお陰である。

新しい自分としてスタート
 運よく3か月間生き延びることができた今はウィズコロナ時代を生きるに当たり「死」と向き合う日常を通じて新たな自分として残された時間を大切に淡々と「恩送り」を意識して生きようと思っている。
 終活の時期に前向きに「日日是好日」に送れることはありがたいと思い、すべてのものに感謝しながら時代に立ち向かっている。

中島 高英

コロナウイルスと4つの崩壊

 今回のコロナウイルス感染症に伴い、「医療崩壊」という言葉をよく耳にするが、私の目には「医療崩壊」だけでなく他のところも崩壊しているように映っている。

  1. 医療崩壊
    感染症用の病棟が足りず、既存の他の医療が行えないという物理的な問題である。そもそも医療行為とは何かから見直すべきである。
    例えば、現在末期がんの患者は、これ以上の医療行為は不可能ということで病院から拒否され追い出される。私自身その家族として途方にくれた経験がある。コロナウイルスの患者は医療行為からすれば隔離と人工呼吸器による延命治療以外ない。とすれば現状の定義からすると医療行為外の患者ということになる。医療について今一度見直すべきである。
  2. 政治崩壊
    国会議員約1000名、地方議会議員3万名。彼等は高額報酬とその身分を保証された状態なのに、今回何を提案し行動したのだろうか。ここを削って保健所職員を増やしたほうがよいと感じたのは私だけだろうか。
    さてどのくらい削減するのがいいか考えてみた。行動抑制8割から推計すると議員数は2割の国会議員200名、地方議員数6千名にするのはどうだろうか。あながち無茶な数字ではない。例えば米国の国会議員数は535名(上院100名、下院435名)である。人口当たりで比べると日本の議員数はアメリカの4倍になる。アメリカと同じ比率にすると日本の議員数は現在の25%の250名となる。結構近い数字になる 。
  3. 行政崩壊
    国家公務員58万人、地方公務員274万人もいながら、マスクも10万円も国民に届けられない硬直化した行政組織ということが見えた。さらにこの硬直化した組織を食い物する輩も出てきている。マスクの調達先、466億円のうち公開されているのは4社90億円(4月22日現在)のみ。マスクは形のあるものだからいずれ究明されるだろう。
    マスクよりさらにえぐいのが緊急経済対策費2兆3176億円だ。委託先が広告宣伝会社の電通に749億円で再委託されていたことが報道されている。
    行政はお役所仕事と言われて遅いがそれでも公務員の皆さんが持っている基本ポリシーは公平、公明正大さである。だからこそ国民もそれを信じ我慢してきた。電通のポリシーはそれとは真逆である。税金は無駄に使われてはいけないが利益だけを求めるビジネスの食いものされてもいけない。
  4. 家庭崩壊
    これは深刻だ。学校の休校と在宅ワークになり、子どもと亭主が24時間家にいることで家庭崩壊が目立ってきている。実際私の身近なところでも「きっとあの夫婦、解除後離婚ね」という噂を耳にすることが多くなった。
    ということは今回のスティホーム作戦は2波、3波では「ホーム」そのものが使えない可能性がある。

考察
 「4つの崩壊」はそもそもコロナウイルスが原因なのかと考えみた。
例えば、「家庭崩壊」だがその予兆はあった。岩村暢子氏の「食にみる現代家族」の講演で、現代は家族団欒の食事はしておらず個人バラバラに家でもしている。という話を聞いて愕然としたことがある。
https://tomoiki.jp/report/19_02_351.html
 「政治と行政の崩壊」も森友・加計問題でその予兆は見えていたし、最近では検察黒川問題でも公平、公明正大から遠く離れた事態があった。
 「4つの崩壊」はコロナウイルス禍によって「不都合な真実」が表面化されたすぎない。まあ簡単に言えば、うすうす「おかしい」と感じていたことが「はっきりとした姿」として「やっぱり、おかしい」と人々の前に現れたということだ。

結論
 国家という「共同幻想」の像が崩れ「擬制の終焉」をもたらした。
 人の価値観も生活様式も変わった以上、国の在り方をもう一度見直したほうがよい時に来ている。ウィズ・コロナの「新生活様式」への変更というレベルでなく、そもそも社会、個人の在り方を変える時がきたと思う。
 変わることは痛みも伴うがそれが嫌でここまできてしまった。これから自分たちのことだけでなく、生まれてくる子供たちのことを考えて、その子たちが安心して心豊かな生活を送れる国を残すために、私たち一人一人が「覚悟の生き方」をしていかねばならないと受け止めている。

中島 高英

追記 難解な吉本隆明の「共同幻想論」、「擬制の終焉」、「言語にとっては美とは何か」など読んでほとんど理解できなかったが胸が熱くなった若い頃を思い出した。

コロナウイルスとWHOのデータ

 毎日のコロナウイルスの感染者数と死亡数はニュースで見ていたが、ふと気になって今更ながら、WHOの公式サイトを見てみた。
https://extranet.who.int/kobe_centre/ja/news/COVID19_specialpage
 どうも腹落ちしない。何故腹落ちしないのか考えてみた。3つのファクターがあることに気づいた。

  1.  WHOは中国寄りという疑いの目(米国のプロパガンダのせいかも)
  2.  そもそものデータの信憑性(日本の数値の作り方のせいかも)
  3.  データを並べてもランキングは分かるが本質が見えない(分析癖のせいかも)

 自分自身が色メガネで見ていたことに気づいた。 そこでジョンズポプキンス大学のサイトを見て、ついでにそのカラクリを見つけた。
https://blog.esrij.com/2020/04/17/post-35916/

結論1 WHO、JP大学も信憑性は同じ
 WHOよりジョンズポプキンス大学のほうが信用できるということにはならなかった。世界中のマスコミが使っているジョンズポプキンス大学のデータはWHOより「早い」「見やすい」のであって、データの信憑性はどちらも変わらないという結論に達した。

結論2 データを見る時に色メガネは禁物
 データを読み取るという行為の裏側にはその人の期待値が無意識に存在する。裏側とは潜在的な期待値であり色メガネで見ることにつながってしまう。意識してこの潜在的な意識を排除していく行為をしなければならないと自戒した。

新しい課題 不確実なデータを見る目
 人類は情報社会からデジタルデータ社会への移行中であり、ビックデータとAI分析で何でも解決できる、それがデジタルトランスフォーメーション(DX)と思っていた。
 しかし、デジタルテクノロジーへの過信は大いなる危険性が伴っている。何しろ精度のよいデータが手に入らないのだから。不確実なデータを使って、真実の姿を見るにはどうしたらよいかという新しい課題が出てきたとに気づいた。

データ分析はアバウト(大雑把)に
 そこで私の取ったデータ分析のやり方は、まず目的を明確にして、その目的を達成するために他のデータと結び付けてアバウト(大雑把)に丸めて見るという手法である。
 目的は、「そもそも日本の感染者数は正しいのか確かめる」とした。感染者数、死亡者数と世界の国の人口のデータと紐付けて、感染者率(感染者数÷人口)と死亡率(死亡者数÷感染者数)を計算して比べてみた。

 さらにドイツ、イギリス、フランス、イタリアの数値を平均化してEUとしてみた。

 それをグラフにして見て、ぎょっとした。

 さらに日本を基準にして比較してみた。

グラフから見えてくる 疑問1 グローバルスタンダード
 グラフから類推すると、アジア(日本、韓国)と欧米(米国、EU)と特徴が分かれた。ここから新しい疑問がわく。そもそも同じウイルス(COVID-19)なのか?仮に同じウイルスとすると、次の疑問は欧米人とアジア人の体質(DNA)に違いがあるということになる。人種によって体質(DNA)の違いがあるとすると欧米で開発されたワクチンはアジア人には有効でないことになり、グローバルスタンダードは崩れていく。

グラフから見えてくる 疑問2 米国の数値の異常性
 米国の感染率が他の国比べて異常に高いことに気づく。そこから以下のようなことが考えられる。

  1. 米国は感染率を高くし、危機を煽っている可能性がある。
  2. グラフにはないがニューヨークがその半数以上を占めている点からすると、そもそも米国という国単位でなく、地域、州単位で見る必要があるのではないか。
  3. また分母を人口にしてよいのか。検査数を分母したものと比べて見たい気がする。

グラフから見えてくる 疑問3 日本と韓国の相違点
 日本と韓国のCOVID-19に違いはない。グラフには反映されていないが周知の事実として検査数の違いがある中で、日本を1にして感染率を見ると、韓国は約2倍、死亡率(死亡者数÷感染者)は約1/2なる。結果ほぼ同じ確率になる。
 韓国の対策が正しくて日本の対策が間違っているとは言い切れない。

結論
 データを見るためのリテラシーを一人一人が身につけておかないと無意識のうちに権力者とそれに追随するマスコミにいいようにやられてしまう危険が潜んでいる。
 AI、DXデータ主導社会への警鐘として捉えることにしたというのが私の結論である。

中島 高英

コロナウイルスとジャック・アタリ

 昨日(2020/05/25)「緊急事態宣言の全国解除」が発表になった。本当に大丈夫ですかねと思いつつ、安倍首相から「日本モデルの力を示した」を聞いてぎょっとした。「日本モデルの力」を誇る前に、総括を先にしないと第二次、第三次の波に対応できないのではないかと不安になった。

 先日、GUTPのワーキングショップでフランスの知性と言われているジャック・アタリの本を推薦した。

 その1冊の『2030年ジャック・アタリの未来予測 (Vivement après-demain (2016)』に今回のパンデミックを予告する箇所を見つけた。その本の中には、準備がまったくされない中、これまでにないタイプのインフルエンザそれもスペイン風邪と同等の猛威がくる恐れがあるとあった。

 『2030年ジャック・アタリの未来予測 (Vivement après-demain (2016))』は3つの大きな章から出来ている。
1.現状の世界分析
2.2つの予想図
3.対処すべきガイドライン

 3の対処すべきガイドラインは3つのテーマで書かれている。
1.個人としてどうすべきか
2.社会としてどうすべきか
3.フランスとしてどうすべきか
 いずれも説得力のある内容となっている。お時間があれば是非読んでもらいたい。

中島 高英

コロナウイルスと蜘蛛の糸

 コロナウイルス感染予防対策を生真面目に守りながら在宅ワークを続けている。先日、こんなことがあった。自宅のマンションで後からくる人の気配に気づきつつもエレベーターの扉の閉まるボタンを押しドアを閉めてしまった。エレベーターの行き先階を示す表示板を見ながら、50年前中学生だった頃に読んだ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が急に思い出された。

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 地獄に落ちた主人公カンダタ(かん陀多)は、お釈迦様が垂らしてくださった蜘蛛の糸につかまり、登っていった。途中ぶら下がりつつ、下を見たときに数限りない、蟻の行列のような人たちに向かい、「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「下りろ。下りろ。」と叫んだ途端に蜘蛛の糸がぷっつり切れ自分も奈落の底に落ちていく。
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 そんな話だった。中学生だった当時の感想文に自分がもし主人公カンダタの立場だったら同じように叫ぶであろうと書いた記憶がよみがえった。

 今、自分がした、エレベーターのボタンを後から人が来ることを知りながら閉めたことは、コロナウイルス禍上の3密を避けるエチケットだったのか、それとも主人公カンダタ(かん陀多)と同じ気持ちからだったのだろうかと考えこんでしまった。どうでも小さなことがらにこだわりはじめると止まらないのが私の悪い癖だ。

 学校が休校になる前には、医療関係者の子供は登校するなという声があったという。自分が校長や園長ならばどう処理しただろうか。差別なのか区別なのか同じ行為でも大きく意味が違ってくることが多々起きてくる。大事なことは、その時の自分はどう考えて意思決定をしたのか立ち止まって考えることかと思う。見直す余裕があるのも在宅ワークの成せる技である。

 コロナウイルス禍のステイホームは、人生を哲学する時間をもたらしてくれている。哲学する行為は、アフターコロナ後の人生に大いに役立つものになるだろう。

中島 高英

データの見える化で健康改善

 工場の改善にはひとつのテーゼがある。「計れないものは改善できない」というテーゼである。だからそれを「見える化」することで工場改善のゴールにたどり着ける。
 改善は対象とする「ものごと」を数値というデータにして「見える化する」というシンプルな方法である。心得として5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)がある。データのデジタル化と心得というアナログが交じり合っている日本のものづくりのよさがある。

 私事ではあるが、このデータの見える化を使って自分の健康を取り戻した話を紹介しよう。昨年2019年8月の健康診断の血液検査で成人病に引っかかってしまった。血糖値、コレストロール、中性脂肪と3つすべてアウトの判定を受けた。
 これはヤバいと思い、体質改善に挑んだ。まずは数値を知る必要があるが、病院の血液検査は手間がかかる上に数日後に結果がわかる仕組みである。そこで腕に装置をつけてリアルタイムで血糖値がわかるものをAmazonで買い求め、計測することにした。


 昨年の9月からその数値を目安に炭水化物カットを中心とした食事制限と軽い運動の散歩をするようにした。すると、体重が1週間に1kgずつ減って血糖値も正常範囲内に落ちくようになった。3か月後病院で再検査を受けたところ、血糖値、コレストロール、中性脂肪ともに正常範囲内におさまっていた。医師から薬を使わずにここまで改善した人はなかなかいないと褒められた。体重の8kg減は少々やり過ぎと注意を受けたものの非常に気分がよかった。その後、年末年始のお酒月間も無事に乗り越えられた。
 3月から新型コロナウイルス感染症というパンデミックが起きている。タッチの差で健康を取り戻せて日々慎重に過ごしている。

あるべき姿をただやるだけ
 私が生活習慣病から脱出できたのには特別な秘訣は何もない。単純にヤバいと思い決断して実行に移しただけである。それまではやろうとしても自分にいろいろな言い訳をしていた。最悪の未来予想図を描いて「ヤバい」と気づいたからだ。そして実行はただ自分の意思や立場、思惑を捨て「やるべきこと」をやったに過ぎない。勿論実行は苦しいが、目に見える結果が出てくれば喜びに変わる。自分で決めて自分から進んでやって、その中に小さな喜びがあったからこそ持続も出来ている。
 コロナウイルス感染防止のための行動抑制も自分から進んでやることが大事であると思う。

中島 高英

コロナウイルスとロックダウン

 非常事態宣言後、迷走していた休業要請の業種も平時の政治力学の結果発表となり、ストレス満載の週末を自宅でじっと過ごしている。
 最初は違和感があったが、聞きなれない「ロックダウン」という言葉も1月半以上聞かされていると人は慣れてくるものである。そういえば社会党の福島みずき党首が「ロックダウンは監獄で使う言葉だ」など言っていたのが気になり調べてみた。

 ロックダウンは封鎖。ロックアウトは閉め出し。シャットダウンは機能停止。とあった。今回のロックダウンは「都市を封鎖する」という意味で、外から入るのも中から出るのも禁止すること。歴史によると遠い昔、欧米も中国、アラブも世界の都市は城塞都市であった。城塞都市は日本の城下町とは違う。ギリシャ時代のトロイも城塞都市でありその門を開けさせるために木馬を贈る話が有名な「トロイの木馬」である。
 最近BBCのテレビドラマで「レ・ミゼラブル」を見た。主人公ジャン・バルジャンはトゥーロン刑務所から出て放浪し、ディーニュの町の門がありそこで身分証明書を見せて入るシーンを思い出した。城塞都市は門ひとつを閉めるだけでロックダウンできた。ディーニュの町で教会から銀の皿を盗み神父様に許されるところから彼の心が変わり物語が始まる。城塞都市といえば、東京上野の近代美術館の庭にあるロダンの彫刻「カレーの市民」を思い出す。一年以上戦ったのち負けて門のカギを渡す6人の市民の苦悩した表情はさすがロダンである。

 今日はレミゼやロダンの話ではない。城塞都市はロックダウン後も1年以上も籠城できるだけの町の機能を有していた。今回の敵は軍隊でなくウィルスだから都市機能もほとんど停止しなければならない。言うなれば「ロックダウン+シャットダウン」である。城塞都市には備えがあったが現代の都市にはその備えも心構えもどちらもない点が困難さと混乱さを招いている。さらに、都市の内側にいる個人宅単位でのロックダウンとなっている点が問題を大きくしている。
 カミュの「ペスト」では9か月ロックダウンが続いた。新型コロナウイルスも同じくらいに考えておいたほうがいいかもしれない。インターネットであふれる情報過多の時代には真の教養こそが正しい判断を下す拠り所になるであろう。

中島 高英